25時間、果たしておが丸は揺れ続けた。
私たちは船内を探検することもせず、ただひたすら2等船室の毛布の中で眠っていた。酔い止めが効きすぎなのか、異常なほど眠く、時折起きてお茶を飲んだり、カップラーメンを食べたりする他は、ずっと眠り続けていた。
船内のテレビで見ることができた映画もこれっぽっちも見ることなく、二人で話すこともなく。
その代わり効きすぎの酔い止めのおかげで気分が悪くなることはなかった。酔い止めよ素晴らしき哉という感じである。
朝になり、窓の外の海の色が変わっていることに気づいた。
は?なんですかこれ?と言ってしまいたくなるくらいの色。
海は気が遠くなるような深く透明なブルーになっていた。
これがあの東京湾と地続きか?いや、海続きか?と思ってしまうほど、その海は今までに見たことのない色をしていた。
到着予定時刻より少しだけ早く、おが丸は父島とびうお桟橋に到着した。小さな港に入るギリギリ前まで、しっかりと船は揺れ続けていた。
|
船はこの青の上を航行していた |
小笠原はまだ夏そのものだった。
Tシャツ姿で真っ黒に焼けた予約した宿のおにーちゃんが、横断幕を掲げて待っていた。
私たちが泊まることにした宿はトロピカルインパパヤという名前の宿でこの宿の特徴は、宿と連動?して船も持っており、ドルフィンスイムやホエールウォッチングのツアーも行っていることなのであった。
小笠原の宿にはいわゆる「ホテル」というものがない。
いや、一カ所だけ天皇陛下だか皇太子だかが泊まったというところがあるらしいのだが、そのほとんどが民宿とかペンションようなスタイルである。パパヤも、基本は自炊で男女別相部屋であった。
もちろん私は、海外のバックパッカー宿に泊まってるので、そんなことは全く問題ではない。むしろ安く上げられるからそのほうがありがたい位である。とはいえ1泊それでも4000円なんだけど。
小笠原では治安上の問題からか、キャンプなどの野宿は禁止されている。 必ずどこかの宿を予約して、泊まらなければならない。
また、物価も物資をすべて船で運び込む事情があるため、かなり高めである。ガソリンなんてリッター185円くらいする。たぶん日本一高いガソリンなんじゃないだろうか?
そういう意味では、この島はまさに「東京都」小笠原村、下手な海外旅行よりもお金がかかる資本主義の島である。
|