タイ北部 ’97春
憧れの地
プロローグ
出発

揺れる感覚
夢のような体験
信じられない色
ドルフィンスイム
南島上陸
マッコウ遭遇
さよならパーティ
おが丸の見送り
母島へ
ハッシー大ジャンプ大会
台風接近
ママヤのレモン狩り
海の中の世界
揺れるミスPAPAYA

小笠原マジック

父島1周の旅
スーパー小祝
ジョンビーチ
シュノーケリング
浸水事件

小笠原マジック

ものすごい星空
ケータ島探検
イルカ三昧
さよならパーティ再び
エピローグ

プロローグ
25時間、果たしておが丸は揺れ続けた。
私たちは船内を探検することもせず、ただひたすら2等船室の毛布の中で眠っていた。酔い止めが効きすぎなのか、異常なほど眠く、時折起きてお茶を飲んだり、カップラーメンを食べたりする他は、ずっと眠り続けていた。
船内のテレビで見ることができた映画もこれっぽっちも見ることなく、二人で話すこともなく。
その代わり効きすぎの酔い止めのおかげで気分が悪くなることはなかった。酔い止めよ素晴らしき哉という感じである。

朝になり、窓の外の海の色が変わっていることに気づいた。
は?なんですかこれ?と言ってしまいたくなるくらいの色。
海は気が遠くなるような深く透明なブルーになっていた。
これがあの東京湾と地続きか?いや、海続きか?と思ってしまうほど、その海は今までに見たことのない色をしていた。

到着予定時刻より少しだけ早く、おが丸は父島とびうお桟橋に到着した。小さな港に入るギリギリ前まで、しっかりと船は揺れ続けていた。

船はこの青の上を航行していた

小笠原はまだ夏そのものだった。
Tシャツ姿で真っ黒に焼けた予約した宿のおにーちゃんが、横断幕を掲げて待っていた。

私たちが泊まることにした宿はトロピカルインパパヤという名前の宿でこの宿の特徴は、宿と連動?して船も持っており、ドルフィンスイムやホエールウォッチングのツアーも行っていることなのであった。

小笠原の宿にはいわゆる「ホテル」というものがない。
いや、一カ所だけ天皇陛下だか皇太子だかが泊まったというところがあるらしいのだが、そのほとんどが民宿とかペンションようなスタイルである。パパヤも、基本は自炊で男女別相部屋であった。
もちろん私は、海外のバックパッカー宿に泊まってるので、そんなことは全く問題ではない。むしろ安く上げられるからそのほうがありがたい位である。とはいえ1泊それでも4000円なんだけど。

小笠原では治安上の問題からか、キャンプなどの野宿は禁止されている。 必ずどこかの宿を予約して、泊まらなければならない。
また、物価も物資をすべて船で運び込む事情があるため、かなり高めである。ガソリンなんてリッター185円くらいする。たぶん日本一高いガソリンなんじゃないだろうか?
そういう意味では、この島はまさに「東京都」小笠原村、下手な海外旅行よりもお金がかかる資本主義の島である。


宿に到着し、同じ船で来た宿の人たちと自己紹介をする。
どうやらこの宿には常連さんがたくさんいるらしい、
ということがわかった。
小笠原に来たのが初めてという人のほうが、リピーターの人より少なかったのだった。 なんだかみなさんツワモノですなぁ・・・などと思いながら、遙か遠く東京から1000km離れた場所に来た感覚を確かめようとしていた。

感覚。
そう感覚である。なんかさっきから立っていても揺れてるんですけど?

船から降りて数時間、私と友人は数日間だけ列車のコンテナを改造したみたいな部屋に泊まることになり、のんびりお茶を飲んでいたのだが、どうもおかしい。ずーっとどこかが揺れているのだ。
船の揺れはもうないはずなのに、三半規管がどこか狂ってしまっているのかカラダで感じる揺れはずっと続いていた。その日一日中それは収まることはなかった。

まぁまだ1日目、ゆっくり行こう。
その日は近くの食堂で島野菜が入ったカレーを食べたり、前浜と呼ばれる海岸で少しだけ海に入ったりした。
友人はシュノーケリングがほぼ初めて状態だったので、3点セットを借りて少し練習したり。

宿からすぐのその浜でも、足首がつかるくらいの水深のところにさえ魚がいた。 小笠原の海は、沖縄のほうな周囲がサンゴにつつまれたものではない。海の色も全然違う。 沖縄の海がエメラルドグリーンだとすると、小笠原のそれはブルー。深く蒼いブルーなのだ。

明日は、父島の周りでドルフィンスイムするツアーに参加することにした。 初めてのドルフィンスイム、いったいどんな感じなのだろうか?
今まで興味はあったけれど、その実態は全然知らないので、どういうカタチでイルカを探し、 どんな風に泳ぐのか、まったく想像できないけれど、とにかく初めての体験にワクワクしながら、眠りについたのだった。

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